誰かのせいにすることについて~我が家のお好み焼き事件で思うこと
先週末に勃発した我が家のお好み焼き事件。題名からして平和なにおいがプンプンすると思いますが、ささいな事件をきっかけに誰かのせいにすることや、自分を責めることについて考えさせられました。
週末のお好み焼き事件
久しぶりに家でお好み焼きをしようということになりました。プレートを出して焼きながらの楽しい夜ご飯になるはずでした。作るのは関西の親戚に作り方を教わった夫です。
事件は起こった
お好み焼き送別会 / Norio.NAKAYAMA
子供3人連れてスーパーに行くのは疲れますwwそこで、買出しは私がすることになりました。材料を軽く確認して買いました。その後、いざ作る段階になって
揚げ玉とネギがないと怒った夫。
私のせいだといわんばかりの目つきでした。「材料確認したよね。」と言い返す私、「揚げ玉とねぎは普通入れる!」「そんなの忘れた!」・・。
そんな流れで喧嘩が勃発したのですが、結局人間って何か困ったことや問題が起こると、誰かのせいにする傾向があるなと。
とくに夫は、前日の金曜に飲み会だったため、疲労がたまっていたり余裕がなくなると、よく責めるような言動をします。私もそういうときがあります。
誰のせいでもないという考え方
そこで思い出したのが、以前読んだブログ記事で、誰のせいでもないという考え方についての記事です。ブックマークしたはずなのに、探せませんでした。スイマセン。
問題やトラブルが起こったときには、つい人のせいにしたり自分を責めたりしますが、誰のせいでもないという選択肢も良いという考え方だったと思います。
事件の原因を突き詰めると無数にある
今日お好み焼きを食べたいと思った私。
必要な材料のネギと揚げ玉の存在をすっかり忘れた私。
買うものを確認したのにおそらくしっかり聞いていなかった夫。
皆で買いにいくのをやめる原因になったにぎやかな子供たち。
夫の疲れの原因となった、金曜の飲み会を声かけした人。
起こったことの原因を突きつめて考えると、どんどんあふれてきます。(飲み会の声かけ人にしてみたら、はぁ~?だと思いますがw)
結局、問題や起こったことに対し、誰かのせいにしたり、人を責めたり自分を責めたりするのではなく「誰のせいでもない」という選択をしたほうが、すぐに気分が良い方向に動くなと。
神様?!のせいにする
また、神様(=世の中、世間、めぐり合わせとも置き換えられる)のせいにしちゃうという考え方もあります。以前にも紹介した本『神さまとのおしゃべり』にのっていました。
誰のせいでもなくて、世の中、流れ、運、お天道様、タイミングなどをひっくるめて、神様のせいにしちゃえっていうものです。あなたでも自分でもないってことになるので、これもいいなと思います。
終わりに
誰かのせいにすることについて、先週末に勃発したお好み焼き事件で思ったことです。喧嘩の内容がささやかすぎですね・・ありがたいことですがw
ちなみにお好み焼きは、奇跡的に冷凍庫に眠っていた揚げ玉(おそらく年越しそばで使ったもの。ヤバイかもw)とほんの少し家にあったネギで美味しくいただきました^^